怒らないこと
公開日:
:
最終更新日:2014/07/26
本
自分でいうのもなんですが、私は普段はとても温厚な性格の人間です。
しかし、ひとたびキレると自分でも制御できないほど大変なことになります。
それで、今まで、どれだけ損をしてきたことか。。。
確かに、怒ってる最中は、とても気持ちいい。
チョー気持ちいい。
すっきりする。
しかし、すぐに後悔してしまいます。
怒りという一瞬の気持ちよさのために、あとあとに凄くイヤな気分が延々と続きます。
「鏡の法則」というのがあります。
相手の態度って、鏡のようなもので、
こっちが怒ると、相手も怒るし、
こっちが優しいと、相手も優しく接してくれる。
最近、それをよく感じます。
だからといって、怒らなければ、相手がつけあがるんじゃないかと思うかもしれません。
しかし、仏教では、それでも怒ってはいけないと言います。
ここに信じられない教えがあります。
「ノコギリの譬え」という説法によると
たとえノコギリでこの身を切り刻まれようとも、怒ってはいけない。
怒った瞬間に仏陀の教えに反するのだと。
なんとまあ、仏教は、めちゃくちゃぶっ飛んだ考えをするものですね。
てなわけで、実り良い人生にするためには、とりあえず、何をされても怒らないことからはじめてみましょう。
スリランカ初期仏教長老のアルボムッレ・スマナサーラさんの
『怒らないこと』
を読んで、実践してみましょう。
「私は何を言われてもガンジス川のような心で接します」
「壊れた鐘のようになれ」
「怒るのは、最低で無知な人である」
「怒るのは、負け犬以外の何者でない」
うーん、そうはいっても、
私にような俗物にはついていけない言葉のオンパレードです。
私のような俗物にとって、怒らないということは、とても難しい。
というか、この本に書いてあることを実践するには、よほど達観しなければ無理のような気がします。
それでも、怒らないにこしたことはない。
思い起こせば、私の今までの人生で、怒って良かった試しはありません。
状況が悪くなることばかりだったような気がします。
以前、どこかの住職に教えてもらった言葉が、ずっと僕の心の中にあります。
それは、「我執」という言葉。
我に固執することです。
この単語を教えてもらったときに、人間界の真理が見えたような気がしました。
「我」に固執するからいけないんだと。
「我」を捨てたときに、本当に自由になれるんだと。
自分は正しいんだとか、
俺の生き甲斐はこうだとか、
生きている意味はこうだとか、
あいつより俺の方がとか、
なんか、
そんなことは、どうでもいい。
「我執」が「怒り」につながり、「怒り」が「争い」につながるのだから。
別に聖人君主になろうとは思わない。
エゴむき出しで俗物として生きることのほうが人間らしいと思う。
しかし、「我」を捨てることで、一段と人間的、精神的な高みに登れることは間違いないと思う。
今日は、あやしいカルト新興宗教家みたいなブログになってしまいました。
まあ、怒らないにこしたことはないですよね。
ではでは。
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