【44歳中年サラリーマン、初めてのインドひとり旅】4日目:ガンジス川の火葬場、バラナシの路地裏、人との出会い
ベナレス※では、聖なるものと俗なるものとが画然と分かれてはいなかった。それらは互いに背中合わせに貼りついていたり、ひとつのものの中に同居していたりしていた。喧噪の隣に静寂があり、悲劇の向こうで喜劇が演じられていた。ベナレスは、命ある者の、生と死のすべてが無秩序に演じられている劇場のような町だった。
(沢木耕太郎「深夜特急」より)
※バラナシのことを昔の日本人はベナレスと呼んでた。
他にも、ワーナラシー、バナーラスとかいろいろな呼び方があるが、旅行者の間ではバラナシが多いと聞く。
ボートでガンジス川観光を終え、いったんホテルに戻る。
朝食をすませ、再び散策に。
今度は、さっきボートから見た火葬場 マニカルニカー・ガートに行く。
1人の青年がついてきた。
「カソーバに行くのか?」
「ああ、でもカネはないぞ」
突き放しても、ずっと付いて来る。
頼んでも無いのに、火葬場の説明をしだす。
「ガイドを頼んだつもりはない。カネは払わない。」
「私はボランティアの学生です。善行をすることは、私のカルマにとって良いこと。だから、私は世界から来たひとたちにガンガーのことを教えるのです」
これも、「地球の歩き方」などで紹介されてる定番のヤツだ。
火葬場で勝手にガイドをして、火葬するための薪代を要求するという手口だ。
まあいい。
流れにまかそう。
青年は、火葬の様子がよく見える場所に連れていってくれた。
そこには、生気のない老人、老婆たちが5、6人が、何する訳でなく、ただボウっと、そこにいた。
まるで自分たちの死を待ってるかのように。
エセガイドが言うように、たしかに特等席だ。
火葬場の様子がよく見える。
ここにはインド全土から毎日遺体が送られてくる。
365日、24時間絶えず誰かが焼かれている。
そのときは2体の遺体が、今から焼かれるところだった。
青年はいろいろなことを説明してくれた。
遺体を包んでる布のこと。
薪はどこから運ばれて来るのか。
マザーテレサがここに訪れたこと。
親族が火葬する前に遺体の周りを5回まわる由来。
いろいろな興味深いことを教えてくれた。
遺体に火がつけられた。
青年にしばし黙ってくれるよう頼んだ。
人間は誰もが最後には死ぬ。
その当たり前のことが、目の前で起こっている。
人生は儚い。
どんなに偉い人でも、偉くない人でも、金持ちだろうが、貧乏人だろうが、誰もが最後は灰になり、自然に帰っていく。
死者を焼いているすぐ隣では、子供達が川の中で遊んでいる。
死者の灰だらけで黒く濁ってる川の中で。
野良犬や牛も子供達に混ざっている。
まさに、生と死が隣り合っている場所だ。
死は特別なことではない。
日常の延長線上のことなのだ。
あの世とこの世が隣あったこの地で、人生の儚さを思う。
人生に意味を見いだそうとして、もがいているが、そもそも意味なんてない。
ただ生まれ、生き、そして死んでいく。
人類史上、何億、何千億といった人間がそれを繰り返して来た。
ただそれだけなのだ。
焼かれていく遺体を見ながら、人生の虚しさ、無常を思った。
しばらくすると、青年が話しかけてきた。
ここには、3000年以上の間、一度も消えたことの無いシヴァの炎というものがある。
ここの火葬場では、その炎を使っている。
そのシヴァの炎を僕に見せたいという。
じゃあ見に行こうか。
と動き出すと、
「その前に、ここにいる老婆に寄付してくれ」という。
「お前にガイド料は払わないが、この老婆になら寄付してもいい」
と言い、老婆に近づく。
老婆は僕の頭に手をあて何やらブツブツつぶやいた。
何か祈ってくれてるのだろうか。
老婆に50ルピーほど渡そうとすると、青年がさえぎった。
「50ルピーでは足りない」
「寄付だから、オレの気持ちでいいじゃないか」
「いや、お前はここの薪代を払う必要がある。500ルピーだ」
ついに、本性を現しやがったな。
「お前は嘘つきだ」
僕は強く言い放つと、その建物から出ようとした。
建物の出口には、ちょっとコワモテの男が待機していた。
「薪代は?」
僕は躊躇せず、
「お前達は嘘つきだ。詐欺師だ」
と大きな声で怒鳴り、立ち止まらずに、その場を後にした。
奴らは、それ以上追ってこなかった。
ったく、どこに行っても気が休まらない。
でも、冷静に考えると、タダでガイドしてもらって、ラッキーだったのかもしれない。
火葬場から離れる僕は、1人の白人の女性とすれ違った。
僕はひとことその女性に告げた。
「気をつけて。悪いヤツがたくさんいる。」
彼女は
「わかった」
とだけ言い、火葬場に向かった。
さて、
気をとりなおして、散策を続けよう。
路地で井戸端会議をしてた女性たちにカメラを向けると、みんな集まってきた。
撮影後デジカメの画面を見せると、みな喜んでくれた。
インド女性が着る色とりどりのサリーはとても華やかで素敵だ。
それにしても、インドの子供たちは絵になる。
一歩路地に入ると、もうそこは迷路。
歩いても歩いても狭い路地が続く。
牛が普通に歩いてるし。
そういえば、何回、牛の糞を踏んだだろうか。
異国の迷宮で迷ってしまった。
いつか、ガンジス川かどこか広い通りに出るだろうとタカをくくっていたが、行けども行けども、似たような景色が続く。
まさにラビリンスだ。
すごく不安になってきた。
コーナーごとに道行く人に
「ガンジス川はどこ?」と聞いてまわる。
やっとガンジス川が見えた。
めちゃくちゃほっとした。
出たところは、思ってた方向とまったく反対だった。
火葬場より上流に行くつもりが、随分下流に来てしまった。
いつものようにベナレスの街を歩いていると、くねくねと曲がりくねった路地に入り込み、方向の感覚を失ってしまった。道に迷った不安感と、この路地を抜けるとどこに出るのだろうという淡い期待感をもってさらに歩いていくと、不意に、まったく不意にガンジス河に出た。
(深夜特急/沢木耕太郎)
ここでも、たくさんの人が沐浴してる。
ていうか、水浴びに近いけど。
そのまま、午後もブラブラ。
買い物をした。
バラモン教、ヒンデュー教の呪文「オーム」が彫られたネックレスをこのお母さんから購入。
ミサンガのようなブレスレットをこのお母さんから購入。
ネックレスとミサンガをつけ、インド気分を盛り上げる。
歩きつかれた。
足の裏は豆だらけ。
ホテルに戻る。
iPadでGmailをチェックすると、インドの航空会社ジェットエアウェイからメッセージが入ってた。
明日予約していたニューデリー行きについて、ネットでチェックインが出来るという知らせだった。
便利な世の中になったものだ。
さっそくサイトにアクセスし、簡単な手続きで明日のチェックインを済ます。
PDF化されたeチケットがすぐに送られて来た。
ホテルのパソコンコーナーで印刷し、一応EvernoteとDropboxに保存しておいた。
そして、ホテルのフロントで明日の空港までの送迎を頼んだ。
バラナシを離れると思うと、少し寂しくなってきた。
この旅はもうすぐ終わる。
あとは、ホテルのテラスでガンジス川を見ながら、黄昏れることにする。
しばらく、ぼーとガンジス川を眺めてると、初老の白人男性2人組が話しかけて来た。
ドイツ人だという。
この2人とは、結局、明日飛行機を共にし、ニューデリーまで一緒になる。
彼らの英語は早口で3割程度しか理解できなかったが、うまく話を途切れず会話を続けれたと思う。
自分の英語能力の無さに飽きれるが、向こうもそんなことは気にしてないだろう。
これも、一人旅の醍醐味。
ひとりでいる方が、圧倒的に話しかけられやすい。
変なヤツに話しかけられる方が多いけど、こういうこともある。
彼らとの会話の中で、少しだけイスラム国の話題が出た。
多くのヨーロッパの若者がイスラム国に加わってる。
彼らも生きる意味、自分探しをしているのだろう。
44歳にもなって、はるばるインドまで来た僕は彼らを批判することはできない。
根っことなる部分は、彼らと同じような気がするからだ。
その後ドイツ人の彼らとも街をブラブラした。
そのときは、インド人からほとんど声をかけられなかった。
彼らは白人をカモろうとは思ってないんだろうなあ。
そうこうするうちに、そろそろ日がくれそうだ。
朝のボートの男の話、ガンジス川の対岸に夕日を見にいく話に興味があったが、悪い予感がしたのでやめた。
もし対岸に行って、日が暮れたら、相手の思うツボではないか。
バラナシ最後の夜。
今夜は、ゆっくり、ホテルのテラスで黄昏れることにした。
ガンジス川からのそよ風が僕の全身に吹きつける。
「深夜特急」に出てくるイギリス人のセリフを思い出した。
“Breeze is nice.”
最高の時間を過ごしている。
時間よ止まれ。
この時間が永遠に続きますように。
そこに、日本人の大学生が声をかけて来た。
インド旅のことで、話題が盛り上がる。
彼は明日は夜行列車でアグラに行くそうだ。
彼は大学3年生、夏休みを利用してインドを一人でブラブラしている。
日本人とはつるまず、積極的に外国人とコミュニケーションをとって、旅を満喫している。
しかし、気のせいか、これから来たるべき残酷な現実を前に、青春の終わりへの抵抗、あせり、あきらめに似たような郷愁も感じる。
彼も現実に戻れば、そのうち、髪を切り、スーツに着替え、クソみたいな就活という茶番に身を投じるのだろう。
ただひとつ言えるのは、若いうちにインドを経験したことは大きな財産になっていると思う。
この多様性を肌感覚で経験できたのは、彼の感性、創造性に絶対大きく作用しているに違いないからだ。
これから苦難の路が待っているだろうけど、頑張れと心から思う。
そろそろ寝よう。
僕が海外で知り合った人たちと別れるときによく使う言葉を「さようなら」の代わりとする。
「いつかまた、地球のどこかで会いましょう」
「いいっスねえ。その言葉」
彼は、このフレーズを気に入ってくれたようだ。
To Be Continued.
まだ終わってません。
「5日目:インドのフライト、コンノートプレイス、インドのスマホに再挑戦」に続く
http://tatsuya1970.com/?p=4377
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