地震報道と「フェスティバルなう」
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地震発生から4日目
重ね重ね、被災者の方々には、謹んでおくやみを申し上げます。
それにしても、連日のテレビの報道にはウンザリする。
これでもか、これでもかと、
地震、津波の衝撃映像を流し、
死者数を連呼、強調、
被災者に執拗にマイクを向け、
東京電力の一般人を攻撃したり、、、、
どのチャンネルも災害をネタとしたバラエティーのよう。
その点、NHKはグッドだ。
NHK総合は、粛々と事実を伝えることに専念しており、
NHK教育は、安否情報など、本当に被災者の必要な情報を流している。
不安を煽るような報道をしている民放とは雲泥の差だ。
そういう私も大きく反省する。
連日のテレビ、ネットの情報に影響され、
当事者でもないのに、心が地震から離れられない。
ほかの事をする集中力がなくなっている。
そして、言いようのない何か違和感を感じる。
ツイッターで地震情報を拡散したけど、
それも他人のTLを汚してただけかもしれない。
単なる自己満足かもしれない。
#prayforjapan
とても、いいことだ。
でも、
「絶対に負けられない戦いがある」
「俺たちは信じてるぞ」
みたいな
サッカー日本代表のサポーターのような
どこか、居心地の悪さも感じる。
なぜだろう。
この方のブログに、その答えを見た。
http://blog.livedoor.jp/mikako0607jp/archives/51760513.html
(抜粋)
他者のドラマは、部外者の人生にもドラマを注入するものであり、人間という生物は、何らかのドラマに関与しているような気分になるのが大好きなのである。
というのも、たいていの個人にとって人生というものは、多少のドラマでもないと生きて行けないぐらい退屈で淡々として面白くないからで、それ故に、他者の身に起きた災難を自らも関わっているドラマに見立てて、やけにキリキリと反応して盛り上がったりして「フェスティバルなう」にしてしまう。
なるほど、自分は「フェスティバルなう」状態になっているのかもしれない。
フェスティバルに参加していることに自己満足しているのかもしれない。
ツイッターやフェスブックは世界を変える力を持っているが、
一歩間違えれば、現実の社会との境界を曖昧にしてしまう危険性もある。
本当に日本のために何かしたいと思うのならば、
自分は何もできないことを認め、
自分の住んでいるリアルの世界の中で、
自分に与えられた事を、粛々とやっていくことが必要なのだ。
だからいつもどおり、
起きて、仕事して、買い物して、ご飯食べて、寝る。
退屈なようだが、それで日本経済はまわる。そして税金にまわる。
そして、それが、日本の復興の礎となるにちがいない。
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