映画『ジョーカー』を観て(ネタバレ注意)
ネタバレ注意
※結末の重要な箇所に触れています。
1940年代、インドのあるイスラム教徒の一族の半分がパキスタンに行き、半分はインドに残った。
インドに残った一族は、丘の上の豪邸に住んでいる人を見て育ち、
「お父さん、僕もいつかああいう人になるよ」という。
パキスタンに移住した一族は、丘の上の豪邸に住んでいる人を見て育ち、
「お父さん、いつかあいつを殺してやる」という。
(注意)パキスタン人が一般的にこうだと言ってるのではなく、ある一族の話である。
同じ現象でも、イマジネーションによって全く違う。
前向きなイマジネーションを現実に変えられるような環境を若者に与えることが重要だ。例えば、出自に関係なく苦情や思想を発表できる環境、ヤギ一頭で裁判官を買収しなくても公正な裁判が行われる環境、誰でも大統領になれるような環境。
そんな環境ならば、世界を粉微塵にしたいとは思わないだろう。
世界の一員になろうとするはずだ。
これは、トーマス・フリードマンの「フラット化する世界」の最終章にある逸話だ。
先日、映画「ジョーカー」を観て、この逸話を思い出した。
映画「ジョーカー」の舞台ゴッサムシティでは、貧困層は前向きなイマジネーションが持てないほど荒れている。どんなに真面目に生きていても決して良くなることはない。
金持ちを見て、彼らのようになりたいというイマジネーションではなく、金持ちを殺すというイマジネーションになってしまう。
少し違うが、近年日本で増えてきた「無敵の人」の無差別殺人もそうなのかもしれない。
いったん社会のレールを外れ、どんなに一生懸命頑張っても生活がよくならない環境に陥ると、前向きなイマジネーションを現実に変えることが困難になる。幸せそうな人々を見て、自分も幸せになりたいと思うのではなく、幸せな人をぶっ殺したくなる。
(注意)無敵の人を擁護しているわけではない。
主人公アーサーは、心優しい普通の庶民だったが、ある時、富裕層を3人射殺したところからタガが外れ出す。最後にテレビの生中継で、大御所コメディアンを射殺し、悪のカリスマ「ジョーカー」になる。
現実の社会に不安を持った人間がこの映画を見たら爆発するかもしれない。
無敵の人が煽られるかもしれない。
ジョーカーはそんな恐ろしい映画だ。
だから暴力描写は大したことないが、R指定なのだろう。
最後の最後、アーサーはジョーカーとして英雄になる。
観客のアドレナリンが最骨頂に達した時に、物語は残酷なまでに、一気に現実に戻りる。
精神病院に閉じ込められているアーサーが画面に映る。
今までのはアーサーの妄想だったのか。
まさかの妄想オチだったのか。
これは、現実は甘くないぞという監督の挑発なのか。
何れにせよ、観客は、さらなる絶望感に突き落とされる。
この環境では、良いイマジネーションを発揮することはできない。
「フラット化する世界」に出てくるパキスタンに行ったある一族のように。
P.S.
アラフィフの映画ファンとしては、ロバート・デ・ニーロが出てることもあって、「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」をジョーカーを介して現代的に解釈したと捉えた。
「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」は自分にとっては非現実的なものであったが、「ジョーカー」は明日でも起こりそうなリアリティがある。
「タクシードライバー」と「キング・オブ・コメディ」のサイコパスを演じたデニーロが、今回は逆にサイコパスに殺される役なのが映画ファンにはグッとくるところ。デニーロとジョーカー演じるホアキン・フェニックスがクライマックスのコメディショーで対決する場面がピリピリとした緊迫感で痺れた。
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