「粗にして野だが卑ではない」から学ぶMonkeyの心得
スペインサッカーから世界中に広がった人種差別反対運動の合い言葉
We are all Monkeys.
これに何かデジャブを感じた。
かつて、我が国にまったく同じことを言った人物がいた。
「おれはマンキーだよ」
「マンキーが勲章を下げた姿見せられるか」
三井物産社長、そして78歳で財界人から初めて国鉄総裁になったヤングソルジャー
石田禮助
が、政府からの勲章を拒んだときのセリフである。
城山三郎のベストセラー
「粗にして野だが卑ではない」
にその生涯が記されているので、未読の人は一読を薦める。
50歳以上のほとんどのビジネスマンにとっての座右の銘なので、ノンデジタル世代の人間たちが何に価値を持っているのかが理解できるはずだ。
「粗にして野だが卑ではない」石田禮助の生涯 (文春文庫) 城山 三郎文藝春秋 売り上げランキング : 3305 |
この題名の通り
明治、昭和初期の経営者は
粗にして野で、豪傑な人物が多い。
百田尚紀のベストセラー『海賊と呼ばれた男』のモデルの
出光興産の出光佐三しかり、
石川島播磨重工業の土光 敏夫
などなど。
彼らに共通するのは、
強烈な個性が目立つ一方、合理的で、利他的なところ。
そこが旧態然とした勢力には驚異に写り、様々な抵抗を受けるのだが、逆に旧勢力をギャフンと言わす姿が、我々一般ピープルの溜飲を下げるところである。
そして、必要以上に富や権力を求めないところが、共感を呼ぶ。
「座って半畳、寝て一畳」
「清貧」
という言葉通りの質素な生活をしているからだ。
石田も国鉄総裁なのに、田舎の粗末な一軒家で、妻とひっそりと暮らしている。
葬式もとても簡素なものだったという。
「清貧」って言葉はとても響きがいい。
物語の賢者というものは、だいたい貧しいものだ。
しかし、清貧という言葉を勘違いしてとらえると危険でもある。
我が国では、金儲けは悪いという風潮につながってるからだ。
我々はマンキーだからこそ、グリード(強欲)というアニマルスピリットを持っている。
グリードがあるからこそ、人類はここまで発展をとげた。
私のようなうだつのあがらないサラリーマンの言い訳に「清貧」が使われてはいけないと思う。
要はバランスの問題だ。
人類の発展や、よりよい社会を作ることに尽くす人間にその対価が支払われるのは当然である。
勲章だとか、個人とか役所の見栄のために金が使われることが、卑しいと言ってるだけなのだ。
最後にちょっと戯れ言を。
ありえないことだけど、
もし私が勲章をもらうようなことや、
銅像をたてようなんて話があったときには
「おれはマンキーだよ」
と言ってみたいものだ。
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