アドラー心理学の教科書『嫌われる勇気』を読んで、刹那を真剣に生きることの重要性を知る。
フェイスブックの利用者は全世界で12億人いると言われています。
しかし、先進国ではフェイスブック人口は減少し始めたとも言われてます。
いわゆるSNS疲れというヤツです。
自分のプライバシーを晒すことへの抵抗感、本当の自分とフェイスブック上の自分のギャップを感じ、SNSに疲れている人も増えています。
私も以前に比べ投稿を控えるようになりました。
フェイスブックは私の人生を良くも悪くも変えました。
総合的に考えると、負の方面の方が多いような気がします。
なぜなら、フェイスブックは人間の承認要求に過剰に作用するからです。
誰かに認められたい。
誰かに褒められたい。
私のように自分に自信のない自意識過剰な人間にとっては、フェイスブックは麻薬です。
本当はしょぼい人生を送っている自分が、投稿しだいでは凄い人になれるからです。
自分は何者なのか?
自分は誰かに認めてもらいたい。
何か自分の人生に大きな変化が現れるのではないか。
そこには他人に認められたいという承認欲求、過剰な自意識があったことは否定しません。
1年前くらいから日本でも一般的になってきた「アドラー心理学」というものがあります。
日本ではあまり馴染みがないですが、フロイトやユングなどと並び称されるそうです。
最近注目されているアドラー心理学を、先生と若者の対話という形式で分かりやすく記述した
昨年のベストセラー「嫌われる勇気」を読みました。
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アドラー心理学では、他者から承認を求めることを否定します。
誰かの期待を満たすために生きてはいけないと。
そして
「自由とは、他者から嫌われることである」
と言い切ります。
誰かに嫌われているということは、自由に生きている証であり、自分に従って生きていることのしるしなのです。
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできません。
つまり、自由になれないのです。
わざわざ嫌われるような生き方をしろとか、悪行を働けといっているのではありません。
嫌われることを怖れるな、ということなのです。
私たちは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。
ステョーブ・ジョブズも似たようなことを言ってました。
Don’t waste it living someone else’s life.
Don’t be trapped by dogma – which is living with the results of other people’s thinking.
(Steve Jobs)
他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになります。
「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。
対人関係というと、どうしても「ふたりの関係」や「大勢との関係」をイメージしてしまいますが、まずは自分なのです。承認欲求に縛られていると、対人関係のカードはいつまでも他者の手に握られたままになります。
「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルになってしまいます。
そこで、対人関係のなかで困難にぶつかったとき、出口が見えなくなってしまったときにどうすればよいか、アドラーは教えてくれます。
それは
「より大きな共同体の声を聴け」
という原則です。
もしも、自分が異を唱えることによって崩れてしまう程度の関係なら、そんな関係など最初から結ぶ必要などありません。こちらから捨ててしまってかまわない。関係が壊れることだけを怖れて生きるのは、他者のために生きる、不自由な生き方なのです。
人生は短い。他人のことを気にしながら生きるには、人生は短すぎます。
とはいえ、承認要求とは別なところで、普通の人生を送りたくない、人間は何か特別なことを成し遂げるためにこの世に生を受けたのではないか。
と多くの人は考え、もがいていることも確かです。
アドラーは、そんな私たちに
「普通であることの勇気」
を説きます。
なぜ「特別」になる必要があるのか?
普通を拒絶するとうのは、「普通であること」を「無能であること」と同義でとらえています。
普通であることとは、無能なのではありません。
わざわざ自らの優越性を誇示する必要などないのです。
そして、以下の箇所は
夢ばかりみて現実を直視していない自分の心にグサッと刺さりました。
人生における最大の嘘、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。あなたはこれまで、「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる嘘をついてこられた。
あなたがどんな刹那を送っていようと、たとえあなたを嫌う人がいようと、「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
そして、刹那としての「いま、ここ」を真剣に踊り、真剣に生きましょう。過去も見ないし、未来も見ない。完結した刹那を、ダンスするように生きるのです。誰かと競争する必要もなく、目的地もいりません。踊っていれば、どこかにたどり着くでしょう。
人生を謳歌している人に共通すること。
みな、人生の刹那を真剣に生きています。
私は今まで人生に逃げてきました。
人に嫌われることを怖がること。
人から承認されたいと思うこと。
そんなどうでもいいことに左右され、無駄な時間を過ごしてきました。
人生は短い。
もう遅いかもしれないけど、
刹那刹那を真剣に生きよう。
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