ダークナイト ライジング
クリストファー・ノーラン監督のバットマンシリーズの最終章。
前作の「ダークナイト」がヒース・レジャーの常軌を逸した凄まじい怪演がスゴかっただけに、いやがおうにも期待が高まる。
シリーズ完結編って、
スターウォーズ ジェダイの復讐
ロードオブザリング 王の帰還
マトリックス レボリューション
スパイダーマン3
などなど
これで終わるぞ、終わるぞという感じが好き。
前作のダークな雰囲気そのままに、北斗の拳さながらの世紀末感が全編を覆う。
そして、最後は、今まで抑圧されていたものを解放するかのようなスーパーアクション。
前作を「静」とすれば、今作は「動」といった感じか。
そして、なんといっても、プラダを着た悪魔じゃなくてキャットなラバースーツを着た悪魔のアン・ハサウェイがめちゃくちゃビューティフォー。
彼女の登場するシーンはマバタキさえ惜しいほどの魅力。
ずっと孤独だったバットマンにとってキャットウーマンの存在がよいアクセントとなっており、ラストのアクションに色を添える。
本作の根底に流れるのはなんだろう。
オキュパイ・ウォールストリートさながらの格差への反発、資本主義/物質至上主義への反動、テロリズムなど世界的な問題が色濃く反映されている。
デヴィット・フィンチャーの「ファイトクラブ」(1999年)の続きの世界のようにも見えた。
シリーズを通じて流れるテーマ「正義は誰でも行使でき、ヒーローは誰でもなれる」ということは健在だ。
バットマンはこう言う。
「ヒーローは何処にでもいる。少年の肩に上着をかけ、優しく励ますような男の事だ」
そう、誰でもヒーローになれるんだ。
アメリカン・コミックのヒーローの映画化は、下手をしたらクソみたいな子供だまし映画になってしまう危険がある。
バットマンを映像化するのに一番の問題は、
なんで、この人は大金持ちなのに、へんなコウモリのコスプレをして、夜を徘徊し、悪党と戦うのか?
ということを、納得させること。
たしかにティム・バートンの「バットマン」(1989)は、ダークなユーモアをまじえ、それをうまく表現したが、あくまでもファンタジーの世界だった。
ノーラン版バットマンは、あたかも現実世界のようなリアリティを感じさせ、スタイリッシュに見せることに成功している。
変なコスプレを着た人間が、普通に存在することに何の違和感もなく、逆にクールに見えるほど。
ノーラン監督の前作『インセプション』のようなラストシーンには、賛否両論だろう。
でも、僕はあれが完璧だと思う。
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